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2018/10/29

堅い、柔らかい

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囲碁クラブで、碁盤をメンテした記事を書いたが。
これがその碁盤。
表面はきれいになった。
だが、もともとの材質が「堅い木」なので、打ち心地でいうと、今ひとつだ。
とても堅いので、石を打ち付けたときに石が滑って飛んでいく。
すーっと置けば問題ないのだが、打ち付ける人には不向きかもしれない。
それで、考えてみたのは、石との相性の問題かもしれないということ。
ガラス石の薄い石なので、これがもう少し厚みがある石ならば、打ち付けても飛んでいくことはないだろう。
多分、元が「いい碁盤」なので、それに合う「いい石」を使わなければならないのかもしれない。
木の質が少し柔らかい碁盤があり、私が寄附したモノだが、こちらは石が薄かろうと打ちやすい。
打った力を吸収するみたいで石が滑らない。

私は、最近は虎ちゃん(芝野虎丸7段)みたいにそーっと置くようにしている。
碁界では若者の伸長が激しいが、テレビ棋戦を見ていると若い人はそーっと置いている人が多いようだ。
「どん底名人」の依田は若いときから自信たっぷりに石音高く打ち付けるふうだったが、そんな人は今は少なくなってきている。(「怒ってる?」と声を掛けたくなるような打ち方だ。)
井山名人は、左手で、ゆっくりと、でもしっかりと、石音がするくらいに打つ。
心地よい石音の響きで、依田みたいな、ともすれば「傲慢な」感じはしない。
あの打ち方はあれで絵になっている。

話があちこちいったが、
この局面は、私の白番3子局。
お相手は、例の攻め一辺倒の樽谷弟さん。
例によってAIを意識して打ってみる。
序盤、上辺に大地を作らせる展開となったが、私(白)も左右上隅に一応地を持って生きて、外側の壁を作ったので悪くはないだろうと思った。
後は、下辺の模様をどう活かすか。
というところで左下隅黒にかかった白に対して挟んできたので、その線を切って模様の中で生きていますか? という展開に。
結果、中でもがき、右辺につながろうとするが、無理。
大石を仕留めた。
打ってみての感想。
中を厚く打つ模様の碁は打ちやすい。
地を稼いでヨセていく碁風だが、厚みで後から追い込んでいくほうが、苦しい場面が少なくていいかもしれない。

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2018/10/28

馬から落ちて落馬した

この「サービスブログ」を使い出して10年近く経つが、毎度使いにくさを感じる。
というのは、「書庫」と「カテゴリ」の設定。
書庫名は自由に設定できるが、カテゴリは選択なので、ふさわしいのが見つからない場合が多い。
しかたなく、それらしきカテゴリを設定しての投稿になります。


「馬から落ちて落馬した」とか
「頭痛が痛い」とか
の表現が好きです。

若い頃は国語教師と言うこともあって、こんな表現に目くじらを立てていたが、何年か前から、気にならなくなった。
間違いは間違いなのだろうけど、「それも愛きょう」という感じで許容できるようになった。

職場ではよく「机上の上に(プリントを)配布しました。」とかいう人がいた。
そのたびに、机の上空数十センチのところを指さして「この辺か?」などと言っていた。
その後、その「おもしろさ」に気づき、わざと使うようになった。
むしろ、積極的に?(生徒への受け狙いか?)

「屋上屋を架す」
という言葉があるが、そういった感じの言葉はけっこうあるんじゃないか。

と思って調べてみたら、次の言葉がヒットした。
「いにしえの昔の武士のさむらいが 山の中なる山中で 馬から落ちて落馬して 女の婦人に笑われて 赤い顔して赤面し 家に帰って帰宅して 仏の前の仏前で 短い刀の短刀で 腹を切って切腹した」

こういう表現は「重語」というくくりになるそうだ。
へーっ。
昔から、同じようなことを考える人は考えていたわけだ。

2018/10/26

そこは親心でいいでしょう

今、テレビ番組のコメンテーターが「老婆心」と言う言葉を使った。
???
「親が子を思う心」を言っているのだから、「親心」でいいでしょう。

どうしても「老婆心」を使いたかったのか、使い方を知らなかったのか、
どちらかでしょう。


テレビに出る人の言葉遣いにいちいちひっかかってしまいます。

2018/10/25

通勤時間が長い。

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授業終わって帰ろうとしたらこんな状態。
もう真っ暗。
ちなみに学祭が近いと見えて木に電飾が施してある。

かなわないのは通勤時間。
行くのに1時間強。
帰りは1時間40分余り。
通勤通学でこんなに時間がかかるのは、人生初めての経験だ。
せいぜい30~40分くらいしか、今まではかかっていなかった。
それくらい狭い範囲に住んでいた、ということかもしれない。

2018/10/23

絶体絶命からの勝利。

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私の白番二子局。
碁敵のTさん弟と対局。
AIを意識しながら打ってみた。
攻撃型の碁なので、外側に模様を作られると攻められっぱなしになる。
うまくいくかいかないか分からないが、AIやプロのトップ棋士の棋譜を見てると、手抜きが多い。
死にさえなければ、大きいところを打つほうがいいに決まっている。
経過。
右上隅で切り違った石を動いて右辺にかけての黒を攻める。
が、ほぼ生きとなったので他に転じて、左上隅に入り生きる。
さらに左辺の白の構えに入ってきた黒石を取り切る。
中央の白が薄くなったが、気楽に、しのげるだろうと打ち進む。
左辺の石とつながる手があったが、数子を捨てるのが惜しくなり、全部頑張る。
すると、ほぼ目が無くなり、右下の白につながるか右辺の黒を取るかの局面になったのが写真。
次は黒番。
さて、この後どうなったか?










結論から言うと、黒が死にました。
白をつながらせて数える碁にしてもよかったと思いますが、最強を選んで死にました。
今日は運がよかった……のかな?
(本当は、絶対勝ちたいという気持ちはありませんでした。というか、最近は目の色を変えて勝ちに行く気持ちがなくなりました。)


ps 某ネット囲碁クラブに棋譜写真をアップして最善手を問うたところ、いろいろ検討、回答していただきました。

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中には、「碁盤キャプチャーソフト」を用意して盤面を再現してくれた人もいました。
この画面がそれですが、すぐれものですね。
私のアップした写真をキャプチャーして棋譜に直してくれています。
このソフト使ってみたいですね。

まあ、それはさておいて、私は最善を打てば白が取られていると思っていましたので、その手順を確認したかったのです。

上図の手順は白が死んでいます。
この図は読んでいたので、私は白4で白5とアテを先に打ちました。
黒1の右につながっていたら黒は生還、同時に白死だったのですが、これに対して黒がその右にアテてきました。
白は5の上のつなぎ。
黒は白2の下に打って3子生還と同時に白2の石を抜きました。
これが敗着みたいです。
黒はいつでも黒1の右に打ってつながることができたのですが、白からそこに打って黒を切断する手順になりました。
すると、黒も目が1目しかないのでした。
攻め合いは白の方が手が長い。
結果、黒死ということになりました。

首を洗って観念していたのですが、相手の読みミスに助けられた一局でした。
(10/25追記)

2018/10/22

大阪に帰る。

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昨日、朝8時過ぎに能登の自宅を出て大阪に帰ってきた。

途中、琴ヶ浜に降りてみた。
昔は鳴き砂の浜と言われたが、今は鳴かない。
子どもの頃、ここで泳いだりキャンプしたりしたなあとか思い出した。

金沢カレーを買って、持って行くことにした。
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この旅の始めに寄ったやはたのすしべんのメニューにあったのが妙に気になっていたので。
金沢カレーと言えば、チャンピオンカレーかゴーゴーカレー。
途中の高速で食べるためには持ち帰り可能じゃないとだめ。
で、白尾のすしべんによって、この前のおばさんに聞いたら持ち帰れるっていうから買ってきた。
ちょうど12時頃、神田PAまで来たので、そこで車の中で食した。
まあ、こんなもんじゃない。

午後、走り出したらちょうどNHK杯囲碁の時間。
伊田対山下の一戦だった。
黒の山下の小目、星に対して、伊田は両三三。
さらに、山下の星に対しても三三に入る。
実利を稼いで、コミにものをいわせようという作戦か。
山下は終始白の石を攻め続けた。
が、どうも大石は死にそうもない。
終盤、大コウが発生して面白くなったが、山下の誤算で損コウを打ってしまい、いっぺんに不利になった。
最後は大フリカワリになったが、解説の高尾が印象として黒が足りないだろうと。
その後投了。
たいへんおもしろい一局だった。

2時には大阪に着いたので、その足で碁会所に行った。
無人かと思ったが、ひとり常連さんがいて対局。
3子局で、楽勝ムードだったがつい落手が出ていやになり、途中から来て観戦していたHさんと交替した。
Hさんは3子局をうまく打って勝った。
Tさんも来たので、同レベル同士ということで交替して、私はHさんと打った。
私の先番。
1局目負け。
2局目、3局目勝ち。
珍しく勝ち越した。

ということで、大阪の日常生活に戻った。
今日は、午後4時から授業なので、仕込みをしてでかけなければならない。

2018/10/21

近所の海。

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きれいな海ですね。
でも、浜が……。
ゴミさらえをする力はもうないのかもしれません。

2018/10/18

能登に来た。

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昨夕、授業を終えて午後6時に金沢に向かって走り出した。
吹田ICが近いのだが、一般道なので夕方の渋滞にひっかかり、高速に乗るまでに30分以上かかった。
午後7時、大津SA。
あんまり腹が空いたので、551の蓬莱で腹ごしらえ。
いつもは京滋バイパス経由なので、大津には立ち寄らない。
同じ時間帯に、就職したてのときに青年部の数人で八ヶ岳登山に行くときにここによったことを思い出した。
リーダー格の人のワンボックスカーに男3人、女性2人乗って行った。
当時はワンボックスが発達していなかったので、5人乗りのバンの後部に板を敷いて「上げ底」にして横になれるようにしてあった。
フラットシート等、キャンピングカー的な車が出てくるのはもっと後だった。
そのときは、琵琶湖を展望できる店内で女性が用意したおにぎりを食べたような気がする。
中央道がまだ途中までの頃で、伊那北というSAまで行って(今は伊北SAになっている)、私たち男はエリア内の芝生の上にテントを張った。女性は車の中で仮眠。
しかし、しばらくして係の人がやってきて注意されてテントをたたんだ。
そして、私たち男はサービスエリアの建物のベンチで朝まで寝た。
明朝6時頃、朝日がもろにさしてきてまぶしくて起きたことを思い出す。
その後、岡崎か塩尻かの終点で降りて、茅野から登山口へ行ったような気がする。
22か23歳の時の話だ。

午後8時、神田PAでさらにうどんを一杯。
大津でもうどんを食べようと思っていたのが他方向に行ってしまったので、「だし」に飢えていて、トイレ休憩のついでに水を買おうと思ったが、看板を見て、衝動的に食ってしまった。
ポケットのワンコインで食べれるのはかけうどんだけだった。

午後10時、眠気におそわれて、女形谷PAで30分ほど仮眠。
午後11時半に金沢着、泊。
金沢は妹の家。
カギを持っているので、勝手に入った。
と言っても前日断りは入れておいた。
酒を飲むつもりもなかったのでそのまま寝た。

今朝は、8時すぎに金沢の家を出たが、判断を誤った。
ちょうどラッシュ時間で、いつもならスイスイと進む道が混んでいた。
金沢は、いや石川は電車がないので車通勤は当然。
自然とラッシュになるのは、体験して再認識した。
9時に白尾の「八幡のすしべん」の店で、朝食を採る。
野菜を食べるつもりが、つい松茸ごはん定食に。
うどんがついていたものだから。
前日はかけうどんで出汁の味を堪能したが、こちらはエビ天やら卵やらが入っていたので、味がまろやかになり、そんなに「出汁」っていう感じではなかった。

10時に和倉温泉総湯に着く。
体の調子を整えるのに、湯治気分で入ってみようと。
数年前から足裏、表、かかと、足首あたりまでが冷えて困っている。
しびれのような痛みのような感じも含めて。
医者にかかったら、末梢神経が衰退している、みたいな見立てだった。
薬をもらって飲んでいるものの一進一退。
といってもそんなに真面目に飲んではいないが。
それで、温泉に目が行ったというわけ。
山中、山代温泉もあるが、夜のうちに金沢まで行ってしまうので、今回はそこから先、ということで和倉にいってみようかと思った。
総湯については、ちょっと前から調べていたし、ナビもあるので、すぐにたどり着いた。
中に入ると、いくつかの湯船があり、それぞれ湯温が表示されている。
下が41.1度から上は42.7度くらい。
露天風呂が一番湯温が高かったが、入ってみたらそうでもなかった。
あと水風呂(22度)とサウナ(?度)があったが興味なし。
最初湯に入ったとき顔にかかった湯がちょっと口に入って、しょっぱさを感じたのでひょっとしてと思い、「源泉、飲めます」というのを口に含んでみたら苦しょっぱかったので、飲まずに吐き出した。
やはり、海のすぐ脇なので、塩水に近いのかと思った。
入湯料金440円なり。

温泉には今まであまり興味がなかったのだが、ふと思い出した。
20代から50代まで、30年ほど、ほぼ毎年のように信州に行っていた。
スキーツアーの下見、本番、登山、修学旅行等々で。
そのたびに誘われて温泉に入った。
白馬の「倉下の湯」での嫌な経験から温泉が嫌いになった。
世間知らずの私は、脱衣場で脱いだ服の上に買ったばかりの腕時計をちょこんと乗せて温泉に入り、出てきたら見事に無くなっていたのだ。
そりゃそうだわね。
盗ってくれと言わんばかりに真上に乗せてあったのだから。
私がバカだっただけで、温泉は悪くないのかもしれないけど。

白馬には、そのものずばり「白馬の湯」もあるが、「おびなたの湯」とか「かじか温泉」とか「十郎の湯」とか「八方の湯」とか、いろいろ行ったねえ。
みそら野のペンションに泊まっているのに、わざわざ反対側の山にある「白馬観光ホテル」に行ってね。
そこの露天風呂から見る白馬岳の山並みがいい、とか言って。
大抵500円から600円くらいだったが、最後にできた「白馬の湯」は入湯料金800円!
ほんとにたまげるわ、今日の和倉温泉に比べたら。

40分ほどで出て、温泉卵を買って、家に向かう。
ナビが能登島経由の道を示したので、その通りに進む。
能登島には橋が2本架かっていて、和倉から島に入り、もう一つの橋から中島に行くルートが、あまり混まないので、地の人の生活ルートにもなっているようだ。
中島から穴水への海岸縁の道は、海抜ゼロメートルと言ってもいいくらいの道だ。
すぐ右に海を見ながら走る。
この道を通るのは何年ぶりか。
いつもは外海沿い、つまりは海を左に見ながら半島を奥へ行くので。
はるか昔、小学生の頃、父ちゃんの車で金沢へ行くのにこの道を通ったことを思い出した。
記憶にある道の形で、この辺で車を停めて何かしてたなあとか。
多分、50年くらい前の話だ。
その後、何回かこの道を通ったが、そのたびに思い出したことを思い出した。

今日はなんとか天気がもったが、明日から雨らしい。
せっかく秋を満喫しようと思ったのに。

2018/10/17

張栩、残った。

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名人戦挑戦手合い5局目。
ずっと白番の挑戦者がよかったみたいだ。
結果、張栩挑戦者の9目半勝ち。
盤面で3目勝っていたということか。
これで対戦成績は井山裕太名人の3勝2敗となった。
あと一つ、は近いのか遠いのか?
次は名人が白番なので、
この間の傾向から言うと、白番が有利なような気がする。
コミ6目半は大きいので、黒の打ち方に工夫が要る。
これが現代碁の特徴だと思う。

2018/10/17

秋の田舎

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田舎の母から電話があった。
珍しい。
いつ帰るのか? と。
11月のつもりだったが、せかされたみたいなので、調整して今日から帰るつもり。
まあ、ちょっと様子でも見てくるか、と言った気分で。